2012年12月30日日曜日

第72回 坐禅会新聞



「時間の流れ」

 平成二十四年ももう終わりです。月日の移ろいは非常に早く胡蝶の夢とさえ評されることであります。時間は誰にでも平等に流れますがその内実はまったく異なります。楽しい事は早く過ぎ辛いときは長く感じるものです。
 坐禅は様々な流れある時間に対し一定量を切り取るものだと思います。坐禅中であれ座る人によって流れる時間は当然異なります。しかし慌ただしく過ぎ去る俗な時間を区切りただひたすら座る、只管打坐の心に向かおうとする気持ちを持つ事が大切なになります。
 古来からあるインドの瞑想法の一つであるヨガ、そして意味を持たない音(真言)をひたすら唱えるマントらと共により深い精神的な安息を求めるがために産み出された点を忘れてはなりません。無論目的を持って座る事を道元禅師さまは戒めております。

しかしその戒めの向こう側にはやはり安息を得たいと人々は願うものであります。前記したそれぞれの方法はより時間を上手く使うためにあるとも言えるでしょう。
 坐禅には仏教的な意味も多々ありますがそれらを切り離しゆったりした時間を産み出すための手段として、そしてお釈迦様を初め多くの祖師様方はこの時間の使い方を学び得たからこそ悟りを開けたとも言えるでしょう。今日、悟りをしていたときに坐禅をしていたからそれに倣うという形ではあります。しかしながら坐禅という安定した時間の流れに身を任せたからその悟りへダ取り付いた事を否定は出来ないはずです。
 誰にでも公平平等に流れる時間を感覚として身に染み込ませるという点で坐禅の効果もまた多々ある事なのです。一年の終わりにその時間に対してより深く考えてみる、それもまた必要なのでしょう。



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