2009年4月27日月曜日

草鞍山戦死者弔霊の碑


昨日、風雨により傾いてしまった草鞍山戦死者弔霊の碑の工事終了のため現地へ出向きました。草鞍山、千人塚に関しては先住である仙定和尚が書いた「傑岑寺の歴史」に下記のように記されています。

”天正年間(1573〜1592)に小田原城主北条氏が北関東を勢力下に収める野望を持ち何度か襲来したが、皆川城主廣照公はこれを太平山及び草倉山でよく防ぎ戦ったので北条氏はその目的を果し得ず兵を引き上げ去った。戦後廣照公は双方の戦死者千余人の霊を弔うために草倉山の上に塚を築き(俗に千人塚呼ばれる)草倉山と寺跡地の谷津山とを施食料として当寺に寄進して弔霊をゆだね託された。寺では以来毎年7月7日(当日雨天の場合は18日、又は19日)草倉山の上にて戦死者弔霊の施食会を行ってきた。現在は毎年9月16日、傑岑寺中で行っている。
 皆川家家臣討死帳によれば家臣死者総数約560人のうち草倉山討死者としては侍大将をはじめとして医師、足軽等270人の名を記録してある。昭和7年、千人塚のそばに草倉山戦死者弔霊の碑を建て供養を修行した。碑の銘は廣照公十六世の孫庸一氏の揮毫である。”



草鞍山戦死者弔霊の碑はゴルフ場、コースの合間にあり比較的なだらかな山道を15分ほど登った場所にあります。両脇がコースという事もあり普段なかなか出向く事がありません。まして前日に大雨が降った後で足元も悪くあいにくのコンディションです。弔霊の碑で香を炊き読経、簡単に掃除をして帰宅いたしました。

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